小松大師 (海部郡牟岐町) – [Komatsu Daishi (Kaifu District, Tokushima)]

国道55号:土佐浜街道を西へ進むと、辺川駅への標識がある。ここが小松大師への入り口だ。
看板の消えかかった黒い矢印は逆の方向を向いているが、これは看板を塗り直して再利用したためだろう。
辺川駅入口小松大師入口

10mほど坂を登ると、大師堂があった。
坂を登りきった位置に石碑(もしくは墓?)があるが、文字は消えかかっており読むことはできなかった。
大師堂の隣には集会所のような木造の建物がある。
小松大師石碑

ちょうど、80歳くらいのおじいさんが大師堂の掃除をしていた。
「こんにちは」
声をかけるが、反応なし。耳が遠いようだ。荷物を置いて、大きな声でもう一度挨拶してみる。
「こんにちは。お掃除お疲れ様です」
反応があった。

「いつも、ここお掃除されてるんですか?」
「あぁ、そうじゃね」
「大変ですね。地域で当番とか決まってるんですか?」
「まぁ、そうじゃね」
「今週はおじいさんが当番なんですね」
「いや、月ごと………わし一人になって10年くらい経つけどなぁ………」
切ねぇ………

おじいさんといろいろ話した後、読経・納札した。
俺たち遍路が、こうしてきれいに掃き清められた大師堂で読経できるのも、地元の方々のおかげだ。
この先、おじいさんが亡くなったとき、小松大師はどうなってしまうのだろうか。
おじいさんが、いつまでも元気で長生きできるよう祈った。

大師堂内の由緒書を写真に撮らせていただいた。
由緒書

「ありがとうございました」
おじいさんに深く合掌し、大師堂を後にした。

第一番奥之院 東林院 (種蒔大師) – [Tōrin-in (Tanemaki-Daishi)]

霊山寺前の門前一番街から、タクシーで東林院へ。
とてもお遍路さん慣れした運転手さん。息子さんは、俺と同じく福岡市内に住んでいるそうだ。
楽しく話をしながら、10分ほどで東林院に到着。代金の端数190円を接待していただいた。お礼の納札第一号。

俺以外にお遍路さんはいないようだ。本堂と大師堂で読経・納札し、納経所へ。
納経所には誰もおらず、呼んでもどなたも出てこないので、留守かなと思ったらちょうどご住職が帰ってきた。
俺と同じくらい、30そこそこの若いお坊さんだ。

東林院は四国八十八箇所霊場第一番奥之院であると共に、新四国曼荼羅霊場第一番でもある。
御朱印も、奥の院用と曼荼羅用の2種類あるそうだ。
今回は曼荼羅用の納経帳(2,000円)を新たに購入し、それに曼荼羅の御朱印をいただくことにした。

「福岡からお越しですか?福岡には一度行ったこどがあるんですよ。中洲ってところの近くでラーメン食べましたよ。こんどは水炊きを食べてみたいんですけどねぇ。坊主なのにねw」
年季の入った大きな硯と筆で、丁寧に墨書・御朱印していただいた。
御影札は、曼荼羅用と奥之院用の2枚いただいた。

「お時間ありましたら、ご本尊の薬師如来をご覧になりますか?」
あれ、さっき読経したとき、本尊は愛染明王と札が出ていた気がするが…
よくよく聞いてみると、本来の本堂は大師堂の左隣にある薬師堂だという。
したがって、本尊は薬師如来。勘違いされるお遍路さんも多いそうだ。

かつての本堂は火災で焼失し、現在の薬師堂として小さく建て直されたという。
正面の大きな鉄筋コンクリート製の建物は「法要所」のような位置づけであり、この新本堂の本尊として愛染明王が祭られている。
本尊の薬師如来も、火災から守るためこちらに移されており、実質的な本堂としての役割には変わりないが。

今日は2番の宿坊泊まり。まだ時間はあるし、せっかくなので薬師如来を拝観させて頂く。
とその前に、本来の本堂である薬師堂で手早く読経を済ませてくる。
中央の祭壇に愛染明王。右の祭壇に薬師如来。
薬師如来は重要文化財であり、前面には紫外線を防ぐために遮光パネルが取り付けられている。
正面からだとサングラスを掛けて見ているようだが、右の柱の隙間から見るとよいと住職に教えていただいた。

種蒔大師 本堂(薬師堂)
種蒔大師 大師堂
種蒔大師 弥勒菩薩

四国八十八箇所霊場 第一番奥之院
八葉山 神宮寺 東林院 (種蒔大師)
徳島県鳴門市大麻町大谷山田59
TEL : 088-689-0053