金刀比羅神社を出て、再び国道438号線を南へ進む。
眉山側を注視しながら進むと、石柱を発見。看板が社号におもいっきり被ってる。
この看板、徳島市内でよく見かけるんだけど、調べると無所属の衆議院議員候補らしい。
国道に接した目印は石柱だけ。鳥居は50mほど奥まった位置にあり、気をつけないと見逃すかも。
150mほど石段を登る。
石の表面は少し凸凹があり、鑿を使って手作業で整えられた石材だとわかる。おそらく明治ごろ作られたものだろうか。
戦前に作られた石段は、歪んだり傾いたりしたものを多く見かけるが、ここまで美しく維持されているものは少ないだろう。
石段を登りきったところに、手水舎がある。手を清めて進む。
拝殿にて拝礼をすませ、拝殿横の社務所へ。
誰もいらっしゃらなかったので呼び鈴を押すと、奥様が対応してくださった。
御朱印をいただく間、境内を見回していると、こんなもの発見。[後藤田正純 水野真紀 結婚記念樹]。
後藤田氏は忌部氏の系統であり、その縁でこちらで挙式されたという。
こちらは摂社のお稲荷さん。
忘れずに由緒書をチェック。
忌部神社御由緒
御祭神 天日鷲命(あめのひわしのみこと)
太古、天日鷲命は穀麻を植え、製紙、製麻、紡織の諸業を創始され、特に天照大神が天の岩戸にお隠れになった時、白幣を作り、神々とともに祈祷られ、天の岩戸開きに大きな功績を挙げられた。
その子孫は忌部と称して国家祭祀の礼典を掌り、神武天皇の御代、阿波国へ下り代々朝廷に麁服御衣(あらたえのみそ)を貢上した。斯く天日鷲命を奉祭する。
徳島県民の祖神を祭り、阿波国總鎮守の神社として古来朝野の尊崇篤く、後、官幣大社に列せられ四国一の宮とも称せられた。
明治四年、国幣中社に列せられ、明治七年所在地を麻植郡山崎村と決定されたが、同十四年、美馬郡西端山村遷祀、更に明治二十年、徳島市の現在地に新社殿を奉遷鎮祭し奉る。
昭和二十年、大東亜戦争の為焼失したが、崇敬者の尊い浄財により、本殿は昭和二十八年に、拝殿は昭和四十二年に復興された。
例祭 十月十九日
忌部神社
徳島県徳島市二軒屋町2-48 →Google Map で見る
TEL 088-652-8892?